テンチョの徒然。」カテゴリーアーカイブ

不妊治療のこと。その2

いよいよ不妊治療開始。
採血などの検査をして問題なければ、
大体は、タイミング法→人工授精→体外受精の流れになっていく。
タイミング法は排卵日にタイミングを合わせて行い、妊娠率を高める感じ。
毎月婦人科に行って排卵日をできるだけこの日というのを絞れるよう確認していく。
テンチョの年齢(当時38歳)だと
半年くらいやってみて成果があがらなければもう時間が無いから
次のステップに行きましょうと言われていた。
最初はがんばろう!という気持ちも強いし、希望にも満ちてるからがんばれるんだけど
半年くらい経つと、徐々に精神的に辛くなってくる。
毎月行為が義務のように「今日必ず」となるから
お互いに仕事で疲れてしんどい日があったりするし、
ボスとも1回ケンカしたりした。こうなったらその月は台無しだ。
また、平行して細かい検査をするんだけど、
テンチョの場合は卵子(卵)の数値が悪く
だいぶ古くなっていると言われて
(これは健康不健康に関わらず、年齢に準じて古くなっていくとのこと
卵の質が悪くなっていき、妊娠はどんどんしづらくなる)
その次の検査では、卵管(卵が通る管)の片側が閉管してしまっているとのことだった。
詰まっていれば通すこともできるそうだけど(これが結構痛いらしい、、、)
先生はもう何もしないで片側で排卵する時に賭けましょうってことだった。
(毎月どちらかの卵管を通って排卵する)
同時にボスの検査もした。
ボスは毎晩お酒を結構飲むから、
何か悪い数値がでるんじゃないかと思っていたけど
結果ボスは全然正常だった。
ボスじゃなくて自分が原因でなかなか子供ができないんだーと
やっぱり少し思ってしまったり。
凹んだり、泣いたり、マイナス思考にもなってしまう。
そんな日が続いたこともあった。

不妊治療のこと。その1

テンチョはアホだった。
元々体力には自信があった。
このまま自分が健康でさえあったら、いくつになっても
(ま、大体40歳過ぎくらいまでは)子供が産めると思っていた。
ブランを開業したのは、テンチョが35歳の時。
パン屋さんはどうしてもやりたかった。
開業と出産が重なるのは厳しいから、
2年くらいしたら子供欲しいなーなんて漠然と思ってた。
2年経った37歳の時、なんと病気になってしまった。。。
信じられなかった、病気なんか無縁だったのにそこからは毎日薬を飲むことに。
好きな運動も体調をみて少しずつしかできなくなって
マラソン大会もよく参加してたけど大分減ったり、
眠れない夜もあってストレスも溜まった。
それが約1年も続いて、やっと毎日薬は飲まなくなったものの、
耳鳴りや軽い目眩は今もたまにある。でも一番苦しい時はやっと去った。
なんてこった!1年も無駄にしてしまった!
正直、後になってみれば病気は無駄な時間ではなかったけど、
(病気の人の辛い気持ちが分かるようになったし、人の親切もたくさん受けれたから)
でもその後、自分たちなりにがんばっても全然子供はできない。。。
それで同級生の友人からのアドバイスで「不妊治療」をすることに。

マラソン大会。

子供の頃、緊張したマラソン大会。。。
いやだったな〜。
小学1年生の時、初めてのマラソン大会は
確か100人ちょっと中、99番でした笑。
昔からワガママでお父さんに肩車ばっかりしてもらってたり
あんまり歩かなかったし、
運動不足のテンチョはちょこっと、ふとっちょな子供でした笑。
これはまずいと子供ながらに思ったのかな、
2年生、3年生になって少しずつ順位が上がり、
4年生には、お兄ちゃんの影響で始めた
ミニバスケットボール部のおかげて
随分早くなって、たしか38番くらいになってたと思う。
5年生で24番くらいだったかな。
超早くはなかったけど、年々順位は上げていたんだ。
なんだか自信に繋がってはいたんだなー。
いよいよラスト6年生になって、
バスケット部の顧問の先生が
「今回のマラソン大会、バスケ部は全員必ず10位以内に入ること!」
と思いっきり怖い顔で言った。。。コワー(汗)
よし!やってやる!という負けず嫌いなテンチョ。
でも10番以内は正直入れるはずもなかった、、、
それでもいい、今ある力を全部出し切ってみよう!
当時のテンチョはがんばり屋さんでしたw
結果、死にもの狂いで走って、17番でした。
バスケ部のみんなは1人を除いて全員10位以内に入っていました。
こ、これは先生に怒られるぅぅぅぅ〜(泣)
ゼーゼーで戻って来たテンチョに
先生は「よくがんばったな!今までで一番早く走れたじゃないか」
頭をなでて、すごく褒めてくれました。
結果じゃないんだ。
努力することが大事なんだ。

そんなコトを教えてもらえたから
今でもこんなに鮮明に覚えている。
怖い先生だったけど、大好きな先生の1人になった。

将来の夢。

小学校6年生の時の卒業アルバムに
「将来の夢」をみんなで書いた。
幼稚園の先生、お花屋さん、歌手、お嫁さん。女の子は可愛らしい夢。
男の子は社長!総理大臣!なんてのもあったな。
テンチョはというと、、、
「アイスクリーム屋さんとおでん屋さん」
ふっ、2つも書いてるwww
夏と冬の二毛作狙いですかwww
この頃からちょこっと変わった子だったなー。
人と違うことしたりするのスキだったし。
カッコとかもちょこっとズレてた。←今も!
きっと当時から浮いてたんだろうなー。
でもでも、みーんな同じ洋服きてたらつまらない。。。
ウォーリーを探せ!みたいになっちゃうよ。
みっかんないよ!
どれも一緒だよ!笑。
だから個性的いいじゃない。
これからも個性アリアリでいきたいと思う。